あまくてしょっぱいさくらもち

言葉にするということ

責任感と自分の時間

念願だったブログをやっと始めることができたのに、最初の投稿から約1ヶ月が経とうとしている。

忙しいなぁ、書くならちゃんと書きたいなぁと思っているうちに1ヶ月が経っていることを考えると、時の流れが凄まじく速く感じてしまう。

 

大学生ってもっと暇で永遠に時間があって、その中で何をするかしっかり考えないと無駄な4年間になるものだと思ってた。

だけど、いざ大学生として一年少し過ごしてみると、やらなくてはいけないことに追われる毎日。自分がしたくて始めたことのはずなのに、「あれ、これって本当に私がやりたいことだったんだっけ」、「どうして今自分はこんなことしてるんだろ」ってことばかり。

どうしてそんな状況になってしまったのか考えてみた。

 

先日、人生の先輩兼同期の友人と話していて、「予定がない=時間が空いている」ではないということを痛感した。

私は多分、お節介で比較的人より責任感が強い。もし誰かが忙しくてできないタスクがあって、自分に予定がなかったら「じゃあ私がやるよ」って引き受けてしまう。そして自分のことを後回しにしてそのタスクをこなそうとする。知らない間に、私にとっての優先順位の尺度は「人に迷惑がかかるかどうか」になってしまっていた。

 

物理的に体が取られる時間、例えば授業や課題のグループワーク、サークルや委員会のミーティング、アルバイト等があると思う。自分のスケジュール帳を改めて見直した時に、10分単位でみっちり埋まっている自分の予定を前にして我に返った。

 

”自分だけ”のために使っている時間があまりにも少ない。

 

それは人と会う約束をしている時間も外しての話。もちろん友人や恋人と過ごす時間はとても有意義だし楽しくて幸せなもの。だけど、ひとりになれないとできないことってあると思うんだ。じっくり考えたり、普段のストレスからリフレッシュしたり、読書に没頭したり。最後に時間も他のタスクも気にせずにひとりで過ごしたのはいつだか思い出せない。この1年と少し、自分が本当は何を学びたいのか、何が好きなのかも考える余裕がなかった。常に何かが私を焦らせる。

 

「何かしていなきゃ」という焦燥感がいつからか私につきまとっていて、毎日心と身体が締め付けられてる気分だった。

休学や大学を辞めること、違う大学に行くことも考えていたんだけれど、それはきっとここでできる最大限のことを考える余裕さえなくなってしまっていたから。自分の身体が空いている限り動き続けることが最大限ではない、自由に動き回れる余白を残すこと、これがきっとこれから自分の最大限を引き出すために必要なんだと思う。

責任感に押しつぶされそうな今、この環境から出ようとしているのはポジティブな意味ではなくきっと逃げなんだ。

自分はもうちょっと無責任になってもいいのかもしれない。きっとこのままの自分であり続けると自分だけでなく、他人にも責任を負うことを求めて苦しめてしまう気がする。自分も他人も大切にしようと思うなら、ちょっと無責任なお節介さんになるのがちょうどいいのかな。

 

こう考えられるようになって(書きながらやっと考えを整理できたのだけれど)すごく胸が軽くなった気がする。あとは自分の時間を作り出す勇気が持てたらいいな。