大人になるということ
先日、ついに20歳を迎えた私。また一段大人の階段を昇ってしまった。
20歳ってもっと特別なものだと思ってた。周りの友達が成人を迎えていくと、ずっと自分より大人になっていったような気がしていたけれど、いざ自分がその立場になってみると、昨日の自分と何も違わない。
大人になるってどういうことなんだろう。子どもと大人の境界線はどこに引かれているんだろう。
ずっと昔と違って、現在の成人の通過儀礼は形ばかりのものだ。成人式を迎えたら次の日から私たちは大人になるわけではない。
社会人になるまで、いや社会人になっても「若い」ことに甘んじている自分の将来の姿は想像に難くない。
バイト先でミスをしてしまった時、店長から「反省はして、落ち込まない」と声をかけられた。私にとって反省するということは、もちろんどうしてそのミスが起こってしまったか分析してこれからどうするか考えることなのだけれど、それよりも反省しているという姿を見せることになってしまっていた。そしてその表現は落ち込むことだと思ってた。こんなに落ち込むくらい反省しているんですって。
自分は反省していると認めてほしい、自分の中で反省できていれば同じことなのに、他人から、特に大人から「ちゃんと反省して偉いね」って思ってほしいのだ。どうしてそう思ってしまうのかは分からないけど、それはまだ自分が子どもだからだと思う。
大人になるということは、「自分で自分を認められるようになる」ことがひとつあるのではないかと思う。常に周りが自分を見守ってくれているわけではない。誰かから認められないと何も行動ができないのではダメなんだ。言い換えたら、自分にとってこれは正しい、これは間違っていると思うことをしっかり持って行動できなければいけないのではないだろうか。思っているだけでなく、ちゃんと行動できて大人なのではないか。
私たちが「大人になるってどういうことなんだろう」と考えなければいけないのは、子どもと大人の明確な境界線が時代とともに消えてしまったからだ。大学生くらいの年代をモラトリアムと言ったり、ピーターパンシンドロームという言葉が使われたりするように私は今、大人になる準備、大人になることの猶予期間にいる。定められた年齢に強制的に大人として見られることがなくなった代わりに、自分なりの大人像を考えなければいけなくなった。
だから、これからさらに意識してどんな大人になりたいのか、どうしたら大人になれるのか考えていきたい。
ここで、20歳の自分の目標を宣言して終わろうかと思う。
- 丁寧に生きる
生活習慣や勉強、人との関わり方など、ひとつひとつのことを大切に - ウジウジしない
嫌なこと、悲しいことも良い方向に考えて早く切り替えられるように - 言葉にする
ずっと言っていること。人からどう思われるかは気にせず、自分が納得の言葉で考えを表現できるように
簡単なこと、しょうもないことかもしれないけれど、自分自信を認めてあげるために必要なことだと思うんだ。